被害者のさらなる被害

被害者のさらなる被害

 我が国では、日々生活を行う上で人為的な死の危険にさらされることは滅多にない。この理由に関して多くの者は安全や秩序が保たれているからだと考えるだろう。本論文では、人々を守るはずである安全や秩序が、時に人を傷つける可能性があるということについて解説する。

 多くの人々は世界に安定や秩序を求めている。安全や秩序によると、「良いことは良い人に起こり、悪いことは悪い人に起こる」、「頑張った人は報われ、頑張らなかった人は報われない」、「悪いことをしたら必ず罰せられる」という罪と罰が一括りになって考えられることが多い。世界にこうした秩序があると考えることを心理学の世界では「公正世界仮説」と呼ぶ。そして、村山・三浦(2015)によると、世界は突然の不運に見舞われることのない公正で安全な場所であり、人はその人にふさわしいものを手にしているとする信念のことを公正世界信念と呼ぶ(Lerner, 1980) 。公正世界仮説を信じることは、心の安定にもつながる。例えば、公正世界仮説を信じている人ほど、「自分がどれだけ幸せだと思っているか」や、将来の目標を設定したり、目標達成のための努力をしたりする傾向があることがわかっている。前者を主観的幸福感と呼び、後者を未来への志向性と呼ぶ。このように公正世界仮説を信じている人が理不尽な事故や事件を目の当たりにしたらどうなるか。例えば、止まっていた車めがけて突然街路樹が倒れてきたニュースや、道を歩いていた女性が見知らぬ男性に襲われたところを想像して欲しい。人の心には、公正世界仮説つまり世界は公平なのだと信じるために、被害者を不当に非難してしまう働きがある。上記の例の出来事に対して「駐車禁止の場所に止めていたのでは?」や「危険な道を歩いていたのでは?」と思うことである。これを被害者非難という。村山・三浦(2015)によると、被害者と自分の属性に類似点がある場合や、被害にあった原因をどこにも帰属できない場合(Correia&Vala,2003; Correia, Vala, & Aguiar, 2007)に、罪のない被害者の人 格を傷つけたり非難したりすることで信念の維持を図る傾向がある(Warner, VanDeursen, & Pope, 2012) 。理不尽な出来事により被害を受け、非難された者はどうなるのか。被害者は「被害を受けた身でありながら」非難されることで喪失感を感じたり、自分を責めたりしてしまう。

 このように、被害を受けた者が公正世界仮説という認知バイアスによって、非難される場合があり、心的外傷を受けるケースは珍しくない。街路樹が車に倒れた原因は何か、道を歩いていた女性が見知らぬ男性に襲われた場合、暴行を加えた犯人が悪い。被害者を責める前に、考えるべきことはないだろうか。

参考文献

・村山綾, & 三浦麻子. (2015). 被害者非難と加害者の非人間化――2 種類の公正世界信念との関連――. 心理学研究, 86(1), 1-9.

・北村英哉 心理学辞典 2020 247-285

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