「源氏物語」における葵の上像について

①序章

 葵の上は「源氏物語」の序盤に登場する女性であり、光源氏の最初の正妻である。政略結婚であった二人は、なかなか心を通わせることが出来ずよそよそしい関係を続ける。葵の上の懐妊をきっかけに状況は好転するが、幸せも束の間、葵の上は六条御息所の生霊によって命を落とすことになる。葵の上は、紫の上や六条御息所のように目立つ存在ではない。しかし、後々にいたってもたびたび回想されるなど、源氏に与えた影響は大きい。葵の上の短すぎた生涯が物語上でどのように描かれたのか考えたい。

②本論
 葵の上は源氏の最初の正妻という重要な役割を担っている。しかし、そういった重要な役割を持つにも関わらず、作中で和歌を詠まず、心理に迫る描写もほとんどない。後に源氏の最愛の女性となる紫の上が幼少期より源氏と和歌を詠みかわし、無邪気に感情を発露させていた様とは正反対である。葵の上の感情は省略されることが多く、読み手にとっても冷淡で口数が少ない冷たい女性であると感じさせる。
 一方で、彼女が亡くなったのち、多くの人がその死を悼む様子が語られる。この点については、大井田春彦氏の論文にて以下のように言及されている。
  葵上という人物について特徴的なのは、その死後、多くの人々に哀惜、追慕される点である。生前の記述を凌ぐほどに、哀悼場面に多くの筆が費やされるのである。六条御息所、朝顔の姫君からは弔問の手紙が寄せられた。また、葵上の兄、三位中将や母大宮とも故人を偲びあう。*1
 葵の上は多くの美徳を持ち、周囲にも愛される存在であった。しかし、女遊びを繰り返していた源氏は、4歳年上で気位が高い葵の上を近づきがたい存在として認識していたため、その美徳を感じる機会も少なかった。加えて、困難や試練を乗り越えた情熱的な恋愛を好んでいた源氏にとって、政略結婚という周囲から与えられた関係性はどこか物足りなく感じられたのかもしれない。葵の上も源氏に魅力を感じていたものの、自身の年齢から気おくれしてしまう部分があったのだろう。
 かみ合わない夫婦関係は葵の上の懐妊をきっかけに好転し、二人は良き夫婦、良き親となるはずであった。燃え上がるような恋心はなくとも、唯一無二のパートナーとしてお互いを信頼しあえる、そんな夫婦になることができたのではないだろうか。しかし、葵の上は生霊に憑りつかれ無念の死を遂げることとなる。読み手は、源氏のこれまでにない思いやりや、葵の上の素直な一面を見ていただけに、よりやるせない気持ちになる。手に入る直前で失われてしまった幸せだったからこそ、源氏もことあるごとに彼女を思い出すのだろう。葵の上は源氏にとって忘れがたい女性の1人となったのである。

③結論
 葵の上は源氏に好感をもっていたが素直になれず、源氏もかたくなな葵の上を受け止めることができなかった。もう少し早くどちらかが歩み寄っていれば違う結末を迎えることが出来たのではないか、そんな歯がゆさを読み手に感じさせる。しかし、二人の不器用な関係性は、どの時代においても共感を呼ぶものである。「源氏物語」の中で決して目立つ存在ではない葵の上が今なお高い人気を得ているのは、読み手の共感を呼ぶ彼女のキャラクター性が大きく関係しているのだろう。

④参考文献
・「葵上の生と死」大井田晴彦 P9(*1)
  名古屋大学人文学研究論集巻1 p459-471  発行日 2018-03-31
・「寡言の女君 : 葵の上論に向けて」趙,秀全
 学芸古典文学 p64-75 発行日 2008-03-1

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