古典劇としての歌舞伎の特徴

 歌舞伎は、雨や風、雪や嵐さえも、太鼓の打ち方一つで表現する日本独自の劇文化である。江戸時代に始まり現代へと至った歌舞伎は日本の古典劇と言うのにふさわしいと言えるだろう。では、歌舞伎が古典劇として現代にある理由とは何なのか、また、将来的にそれを維持していくには何をする必要があるのか、歌舞伎の歴史を追うことで考えていく。

 歌舞伎は、天正年間のややこ踊りや歌舞伎踊りといった踊りに発した文化である。ややこ踊りとは、踊り念仏に発想を得た出雲阿国が踊った踊りであり、これが発展して歌舞伎踊りとなった。踊りは一世を風靡することとなるが、その源には「風流」という独特な考え方がある。例えば、「やつし」という歌舞伎の文化は「風流」の一つである。「やつし」とは祭のなかで身をやつす、つまり仮装することである。歌舞伎の定番のストーリー展開に、高貴な人物が流浪の旅をする、というものがあるが、この時「やつし」芸は効果を発揮する。また、祭りの練り歩きから転じた歌舞伎の「歩く」という芸も「風流」の一つである。出端と呼ばれる主要人物の登場シーンの多くは花道で演じられる。花道において主要人物の身分を示し、名乗り踊るのである。これらは踊りから生まれ形を変えて歌舞伎に通じる「風流」であると言えるだろう。
 だが、歌舞伎の原型となるのは踊りだけではない。語り物もまた重要な要素である。まず、仏教の伝来と共に発展したのが、経文を伝えていくための仏教音楽である声明であった。声明は仏教の法会や儀式の中心として歌われ、天台宗、真言宗を中心に栄えた。そして、12世紀になると琵琶法師による平曲が生まれる。戦場で散っていった武士や民衆の霊を慰め、琵琶と共に伝える平曲は、戦語りとして庶民の支援を受け発展していった。浄瑠璃はこの流れを汲んで生まれたものであり、その中でも特に人気を博した義太夫節は今日にも伝わる。初代竹本義太夫の画像に近松門左衛門が讃した一文が、義太夫節の在り方を物語っている。
 節に節あり 節に節なし ことばに節あり ことばに節なし 語るに語りて 節に語る
節とは、曲、旋律のことで、美しい節を生かすと共に節回しのための節になってはいけないということを示す文である。浄瑠璃が音楽劇である以上、人物の台詞にも節がある。だが、それも武士だったり町人だったり村人だったり、また男だったり女だったりといったような人間のことばでなければならない。「語るに語りて節に語るな」とは、物語を語り、人物の心情を表し、人間を描写することこそが中心となるべきであって、義太夫節をただ語ることに終わってはいけないということを示唆している。語り物の伝統を、歌舞伎における演出・演技との関わりで考えるとき、その文脈や内容を理解することに加えて、役者の呼吸、息継ぎ、抑揚もまた重要であるということが分かる。独特な「語り」の技術は歌舞伎に欠かせないものである。
 

 踊りからもたらされた「風流」と浄瑠璃からもたらされた「語る」技術の二つが歌舞伎になくてはならないものであり、歌舞伎を歌舞伎たらしめている。歌舞伎が古典劇と言われる所以は、江戸時代の演目を上演しているということに留まらず、遥か昔から脈々と受け継がれてきたこの伝統的な特徴を守り続けていることにもあるのだろう。

参考文献

かぶき踊の源流とその虚構性 橋立亜矢子

日本文學 108巻 P129-143 2012-03-15

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