神の存在に関するデカルトの存在論的主張の検討

ルネ・デカルトは17世紀に最も影響力のあった哲学者の一人であり、特に肉体と精神は別個の存在であるという「二元論」の概念で知られる。しかし、最も重要なのは、神の存在に関する彼の主張である。デカルトは『第三の瞑想』において、「無限で独立した、至高に完全な存在」が存在するはずだと主張した。その主張を裏付けるために、彼は「神が存在するかどうか」を理解し、「(自分自身の)本性をはっきりと、明確に理解する」ことを求めている(AT VII:23)。以下、デカルトの存在論的議論を検証していく。

デカルトはまず、「神が存在するかどうか」という問題を述べる。彼は「もし私が何らかの真理を発見することができるなら、あるいは疑うことができないほど確固とした、何らかの推論を用いることができるなら、私は神の存在を明確に立証することができる」(AT VII:25)と論じる。この問題を解決するために、彼は神の存在に関する一連の存在論的証明を提案する。

デカルトの『第三の瞑想』に見られる主要な議論は、神の存在に関する存在論的証明として知られており、無限の存在者こそが「すべての完全性」(AT VII:28)をもって存在しうる唯一の存在であるという考え方に焦点を合わせている。この点を証明するために、デカルトは、何かが存在するならば、それは少なくともある程度の完全性を有していなければならないと述べる。したがって、「すべての完全性」を持つものが存在するとすれば、それはまた無限でなければならない。この前提を立てることによって、デカルトは「すべての完全性」を持つものが存在するならば、それはまた存在しなければならないと断言する。このことから、「すべての完全性」を持つ無限の存在が存在するはずだと考え、神の存在を証明したのである。

デカルトが提案したもう一つの論法は、「無限の物質の観念」という観点から神の存在を証明するものである。デカルトは、無限の物質という観念は論理的にも形而上学的にも必要であり、無限の存在からしか生まれないと考える。したがって、デカルトは、無限の物質の観念は無限の存在の証明であり、したがって神でなければならないと断言する。

まとめると、デカルトは、無限で独立した至高に完全な存在が存在するに違いないと考えている。彼はこの主張を支持するために、神の存在に関して一連の存在論的証明を構築する。デカルトの第一の主張は、存在論的証明の一つであり、「すべての完全性」を持つものもまた存在するに違いないと提案し、その結果、神でなければありえないという無限の存在を暗示するものである。さらにデカルトは、神でなければならない無限の存在の証明であると信じる無限の物質という考えからの論証でも、自分の主張を支えている。これらの論証を概説することによって、デカルトは神の存在に関する彼の主張を支持する強力な論証を提示する。

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