「自由とは何か?――社会哲学的観点から考える」

「自由とは何か?――社会哲学的観点から考える」

自由という言葉は、非常に広義に用いられる。人間が持つ自由、国家が保障する自由、市場における自由など、多様な面があり、その定義も様々である。そこで本論文では、社会哲学の観点から、自由を考察してみる。まず、自由の理念が生まれる背景について考えてみたい。

社会的都合が自由を拘束する

19世紀に起こった産業革命によって、市場経済は発達し、個人的な選択とする自由が重要視されるようになった。同時に、宗教的な信仰や習慣によって「従うこと」が強制的に求められる社会体制に変わり、自己決定が許された社会が成立した。しかし、この自由が広がった一方で、自由な市場経済は不公正な対等関係を招いた。経済力に差がある場合、ルールの平等性が実現されるわけではない。一極集中が進んでいく現代社会においても、自己決定による自由は重視されているが、質的に何かが変わってきているように思われる。

個人単位で自由を考えることはできない

自由であることは個別には個人単位で考えられるように思われる。が、自由を保障するためには、「社会的な拘束」についても考慮していく必要がある。社会が保障する自由は、個人の意思決定優先から、社会全体としての利益を重視する傾向がある。つまり、社会的な拘束とのバランスが求められる。

自由としての社会基本権

自由について、自己決定や経済的自由などが取り上げられることが多いが、これらに対応する社会基本権という考え方がある。1972年の憲法改正によって導入されたもので、日本国憲法第25条に基づく権利である。従って、社会基本権の中には、「自由」に関わる権利も含まれているのだ。

フロムの労働における「自由」について

前項で触れたように、自由には経済に関する側面が存在する。実際、自由という言葉が現代社会において広範囲に用いられるのは、市場経済の発展が背景にあるためであると言える。ここでは、社会哲学者エリヒ・フロムの労働観に関する考え方について取り上げる。

フロムによれば、労働において自由とは、自己発展の機会にあると言える。つまり、自分自身がやりたいことを実践する権利があることが、自由な労働において求められる要素となる。しかし、現実にはそういった機会や選択肢が限られ、多くの人々が自己実現を実現させることができない現状がある。現代の働く環境では、職務の多様化や欠乏による専門化の進展によって、自己実現に向けての機会が減少しているかもしれない。

自由を獲得するためには

本論文で取り上げたフロムや「社会基本権」によっても示唆されるように、個人が自由を獲得するためには、社会的な仕組みによって支援されることが必要とされる。ただし、社会が保障する自由も、過度に拘束することがないように注意が必要だ。個人が思考の自由を受け取り、自由な選択を行うためには、社会も同時に自由を保障し、様々な選択肢の中から自己実現の道を見出せるようにする必要があると考えられる。

【参考文献】
・片山伸宏:『コンパクト社会哲学』
・本多勝一:『憲法探究』
・エリヒ・フロム:『逃れられない絆』

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