文化の功罪
ー格差を拡大させる文化ー
1 序論
日本社会はかつてないほどの格差社会を迎えている。全雇用に対する非正規雇用は1984 年で15%だったのに対し、1999年には20%、2002年には30%、2008年には35%を越える増加を示している。なかでも、女性の非正規雇用は50%を越えており、われわれはジェンダーの問題が根深い社会に生きていることがわかる。この要因を新自由主義的な経済政策として論じるのは、もはやめづらしい話ではない。今回は「文化」という視点から、近年の日本における格差問題について議論する。本小論にはこのような視点に注目することによって、これまで経済システムに対する考察ばかりだった本問題にある意味の風穴があけられる意義がある。
2 考察
本小論では、文化を資源としてみる視点を導入する。文化とは、「社会的にきめられた意味の構造」とされ、人間の思考・行動様式を制限するものとして考えられる。日本人が正座などにより、密を好む傾向にあるのが、好例であろう。
文化は能力主義により、資本化されてきた。折しも、2002年の学習指導要領により、良質ともに敷居が下げられた、いわゆる「ゆとり教育」がそのアンチテーゼである。文化は「能力」というラベルによって、資本としてみなされるのである。ここで、階層的な分断のフィクサーになるものが、高級文化である。クラシック音楽などがそれに当てはまる。この高級文化を資源として持つ者と持たざる者の間に分断が起こり、格差社会の拡大を助長する結果になる。
翻って日本文化を考えると、2000年代以降は「おたく」の文化への転換が起きたと言える。2005年に放送された「電車男」がそれを象徴しているといえる。2007年には「初音ミク」が発表され、消費よりもディスプレイに自閉的な態度を持つ者は増加した。新人類のコンピューター保有率は全体の半数を越えている報告もなされている。このように、近年の文化とは、高級文化とは隔たるものとして、受容されてきたと言える。
このような文化資源を持つ者が増加したことにより、高級文化を文化資源として持つ者との間に経済的格差が拡大してきたのが2000年代以降の日本社会の側面の1つである。これは先述した非正規雇用の割合とも適合しており、理論的裏付けは十分だと言える。
3 結果
日本の近年の格差社会は文化の格差が要因の1つである。
4 結論
ここまで日本経済に関して、文化の視点から考察してきた。日本はかつてないほど格差社会にあるが、文化による調和を進めることは急務である。文化の進展により、経済の進展もなされるのである。ますます各人が立ち止まって、常識を疑う必要がある。
参考文献
片瀬一男(2015) 『若者の戦後史ーー軍国少年からロスジェネまで』pp. 185-200, ミネルヴァ書房
宮島喬(1999)『文化不平等ーー社会学的アプローチ』有斐閣
吉見俊哉(2011) 『ポスト戦後社会』p. 189, 岩波書店