ニヒリズムの世を生きる
哲学界に革命をもたらした二―チェのツァラトゥストラを紹介していこうと思う。ニーチェを知らない人でも、「神は死んだ」という言葉は知っている人がいるかもしれない。その意味は簡単に言えば、「絶対的な真理はなくなってしまった」いうことだ。神という絶対的な存在、絶対的な善が消え去った今、多くの人がどこに向かうかもわからず、日々を生きている。その世界が来ることを予見し、警鐘を鳴らしたのが、ニーチェなのである。
この哲学の最も伝えたいメッセージは、「末人ではなく、超人となって生きていけ」ということだ。まず「末人」とは、極力リスクを避け、日々を漫然と生きている人たちのことである。それと対をなすのが「超人」。 不屈の精神力をもち、自らの人生を肯定しながら、より高みを目指す者だ。自分の人生を何に費やすかという絶対的な信念をもち、進んでいける。さきほど申し上げたように、人にとって絶対的にこれが正しいというものはないのだ。だから、あがきながら、自分で自分の生きる意味を見出せという厳しい教えがツァラトゥストラに書かれているニーチェ哲学なのである。近年、多くの若者たちが「どうせ自分なんて生きている意味がない」「何をやっても意味はない」とぼやいているのを目にする。こうした生に希望を持てないニヒリズムの生き方には絶対になるなというのがニーチェの絶対的スタンスなのだ。では、超人になるためにはどうすればいいのか。主に、三つのステージを経る必要がある。1つ目は、ラクダ。重い荷物を持って我慢する段階だ。自分の身に積極的に負荷をかけて、自分の強みを獲得していくステージになる。自分がなりたい位置にたどり着くための勉強、トレーニング、仕事など人によって異なる。2つ目は、獅子のステージだ。様々なしがらみから解き放たれ、自由を求める段階だ。既存の価値観、常識、ルールの中で、自分スタンスを持ち、ノーと言えるようになっていく。3つ目は、幼子。自らの想像力に身をゆだねて、自由奔放に人生を遊ぶ。周りがどうであろうと自分の人生をただただ謳歌することができる。そんな存在だ。そうすることで、生を肯定し、自分の人生に意味があったと自分自身が思えるようになるだろう。
以上がツァラトゥストラを介したニーチェの哲学である。超人というのは、日々精進し、今いるここではないどこかを目指していく生き方だ。その生き方は決して楽ではないだろう。しかしその先に、心から震えるような景色や喜びが待っていて、この日のために自分は生まれてきたんだと思えたらどうだろう。その景色を人生をかけて見に行きたいとは思わないだろうか。人によって目指す場所はもちろん違う。人生を、末人としてか、それとも超人として生きるかを全ての人に時代を超えて問うているように私は思う。
参考文献:「ニーチェ ニヒリズムを生きる 」 著者:中島義道
出版社:河出書房新社 2013年
「ツァラトゥストラはこう言った」上 著者:ニーチェ 氷上英廣 訳
出版社:岩波文庫 2004年