『方丈記』が見直される訳
『方丈記』は何十年かに一度、評価がされるようなブームが訪れている。蓮田善明の『鴨長明』(※1)を始めとした長明、『方丈記』に関する作品が、戦後や戦時中に世に多く出たのは既に知れたことである。テーマとされている「世の無常」が後世の時代の激変ごとに、『方丈記』は回顧され、評価を受けてきたのである。『方丈記』の何が評価を受けるのか、分析していくこととする。
そもそも「世の無常」つまり「無常観」とは何か。広辞苑では「一切の物は生滅・変化して常住でないこと」と広辞苑に記載がある。要するに「世の全てのものは常に移り変わり、時代が移っても変わらないものは無い」というということである。『方丈記』には冒頭に「無常観」が表現された有名な文がある。まずはその箇所をみていきたい。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるめしなし。(中略)世々を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋ぬれば、昔しありし家はまれなり。」(※2)と冒頭には記されている。「ゆく河の流れ」の部分は、世は河の流れのように時間と共に過ぎ去り、常に更新がされると読み取ることができ、この冒頭で早くも普遍性を否定している。この後に描かれている、五大災厄(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)については「ゆく河の流れ」の具体例として「無常観」を物語っているのである。予期せぬ大災害や突然の首都の変更など、人々が予想だにしないような事変が起こりうるということはまさに普遍性がないということであろう。そういった普遍性の否定は、現代にも通ずるものがある。序章にも記載した、『方丈記』の戦後・戦時中の評価は、戦争という突然の紛争が全世界に大きな被害と事変を踏まえ、「世の無常」という長明の考えを想起させるものとして、現代に残っているものである。1212年に長明が残したこの随筆と彼の「無常観」という考え方は、約800年が経った現代にも通ずる、時代の変化は常に起こるということを教示しているのである。
2011年に突如日本を襲った、東日本大震災、そして2020年に世界に猛威をふるった新型コロナウイルスの流行など、現代も人々の想像を超える災害や感染症が突如自然現象として起こる。そのたび人々の精神を蝕むことは避けられないものであろう。そのときに、この長明の「無常観」という考えを意識してほしい。世に普遍はなく、そういった事変は起こるものだと考えること、現代にも通ずるこの考え方はこの先も評価をされることである。
【参考文献】
※1『鴨長明』:蓮田善明、八雲書林、昭和18年9月10日
※2『新訂方丈記』:市古貞二、株式会社岩波書店、2013年4月5日、10頁~11頁