『古代ローマの水道橋』

『古代ローマの水道橋』

古代ローマにおいて、水が都市を支える重要な役割を果たしていました。それは、公共浴場(テルマエ)、公園、公共トイレ、家庭用水道など、多種多様な場所で必要とされるものでした。ローマ市内には約850の公共浴場と、約1,300の水道橋が建設されていたと言われています。

その中でも、最も有名な水道橋の一つが、アクア・クラウディア水道橋です。この水道橋は、紀元前312年に始まった建設から約10年後の紀元前302年に完成しました。アクア・クラウディア水道橋は、ローマ市内から約45キロメートル離れたアッピア街道上流にある塩水温泉に源を発し、しばらくの間、急峻な山岳地帯を通って、ローマ市内を目指します。

アクア・クラウディア水道橋は、全長48キロメートル、高さ28メートル、幅2メートルの大型水道橋でした。ローマ市内に入ると、水道橋はローマ市内の最も高い山であるアヴェンティーノ丘を越え、市内各地に水を供給しました。この水道橋は、ローマ帝国の終焉まで、約500年間にわたって使用され続けました。

この水道橋は、単に水を供給するだけではありませんでした。水道橋は、ローマ帝国時代の都市計画の中で非常に重要な役割を果たしました。水道橋は、ローマ帝国内の貧富の格差を埋めるための公共事業の一つでした。貧しい人々はバレッタ(ポット)を運んで水を汲むことができました。それでも、水道橋が建設される前は、大勢の人々が水を求めて、汚水と混ざった川や泉から水を採取していたのです。

水道橋を建設するために、ローマ人は太陽光線を妨げる樹木を大量に伐採し、山々を掘り起こして、穴を開け、石を切り出し、水路を作るために巨大な凹凸を造って、塩水温泉とローマ市内をつなげました。このような重労働は、現代の建設技術がなかった当時のローマ人たちにとって、非常に疲れるものであったでしょう。それでも、ローマ人たちは、都市の発展のために、そして一般市民の生活質の改善のために、積極的に水道橋の建設に取り組んだのです。

古代ローマの水道橋は、技術的に前途洋々であったばかりでなく、都市計画において重要な役割を果たしていました。水道橋が問題を解決するために使用された費用も、ローマ帝国内の貧富の格差を埋めるために使用されました。これは、今日の公共事業にも通じるものであり、古代ローマの知恵や工夫が、現代の生活改善にも役立っていると言えるでしょう。

タイトルとURLをコピーしました