【明治時代の西洋化と近代化】
明治維新が始まり、日本は長い閉鎖的な政策を終え、世界に開かれた。日本は速いスピードで西洋文化を受け入れ、幕末には少数の日本人が欧米に留学していたが、明治時代には留学生の数は飛躍的に増加した。
このような状況の下で、日本史上最初の国際的な産業展示会、万博が1873年に開催され、最初に世界に向けた日本の製品とテクノロジーが紹介された。国際的な万博やこれに続く博覧会での輝かしい成功によって、日本は世界的な注目を集めた。この結果、各国政府が公式な招待を発し、日本人は世界各地に派遣され、西洋の文化・技術を学びに行った。
明治時代になると、版画、絵画、音楽、演劇といった芸術文化も、西洋の文化に大きく影響されるようになった。西洋の風を取り入れた洋風の絵画スタイルが誕生し、日本画を取り入れた新しい形の日本画派、南画や北欧の様式を起源とする工芸品が現れた。
また、日本は西欧からの影響で、新しいモダン・スタイルの建造物、鉄道、電灯、電報、電話など、革新的な技術を採用するようになり、その後、日本が世界で最初に普及した国として知られている。特に、鉄道は日本をそのままモダン化の象徴として表しており、明治時代以来、日本国内に新たな産業を生み出すための環境を提供してきた。
このような文化的・社会的変化は、西洋化以前の日本とは大きく異なり、日本社会に大きな転換をもたらした。和装から洋装に変わるなど、日本人の生活様式も大きく変わり、また、教育改革も行われ、西洋式の学校が創設された。新しい印刷技術によって書籍や新聞の出版も進み、文化芸術は大衆化され、知識階層と広く一般市民の間で普及されるようになった。
このような西洋化・近代化は、明治時代の日本がその後、大国のひとつになるための基礎を築くことにつながり、しかし、一方で、日本人の間には西洋化に対する批判も強まり、日本の伝統文化や価値観が犠牲になるのではないかという懸念が生じた。
明治時代は、文化的・社会的変化の激しい時代であり、その後、日本が近代化の波に乗り、世界史にトップの位置に立つ大国になることにつながった。しかし、今日的な見方からすると、明治時代に日本が取った方法は、社会、文化、政治の面での日本人の価値観に対する損失もあったと考えられる。