【奈良時代における文化・政治・社会の変化】
日本史上、飛鳥時代から平安時代までの時代が「古代」と呼ばれるが、7世紀末に始まり、8世紀末までの時代が奈良時代である。奈良時代は、日本の中央政府が正式に設立された時期でもあり、また、仏教文化の栄えた時代でもある。本稿では、奈良時代の文化・政治・社会の変化について、主に大化の改新、東大寺建立、法隆寺宝物館の開館、朝廷の実権争いの4つのテーマに焦点を当てて、解説していく。
まず最初に取り上げるのは、「大化の改新」である。大化の改新は、645年に僧・稲丸を中心とする人々が行った改革である。この改革によって、律令制度の導入や年号の制定、地方官の設立などの施策が進められ、畿内や近畿地方に権力が集中した。この改革によって、皇位や臣籍降下、氏姓制度の制定も行われ、現代の日本文化や社会にもつながる重要な改革である。
次に東大寺建立について述べる。観音菩薩を安置する仏教寺院である東大寺は、法隆寺とともに奈良時代の仏教文化を代表する存在である。建立の経緯は、聖武天皇が、病気平癒のお礼として福岡県田主丸村から金剛帰命を勧請し、草庵(芝蘭庵)を建て、東大寺の山門・中金堂・大仏殿を造営したことに始まる。完成まで28年を要し、建立後しばらくは堂塔焼失や再建、相次ぐ奈良時代末期の承和の火災で荒廃したりしたが、平安時代になって再興が図られた。
三つ目のテーマは、「法隆寺宝物館の開館」である。法隆寺は、大化の改新後、聖徳太子が創建し、平城京から南に20キロに位置する奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院である。同寺は、仏教美術、彫刻、工芸など、国宝・重要文化財級の多くの資産を有することで知られており、法隆寺宝物館でその一部が展示されている。法隆寺宝物館は1972年に開館され、三重県伊賀市に建設された。また、法隆寺は世界文化遺産にも登録されており、個々の文化財だけでなく、その全体として美しい景観を見せている。
最後に取り上げるのは、朝廷の実権争いである。奈良時代は、飛鳥時代に比べて中央集権が進んだ時代であったが、一方で、「大伴氏」と「藤原氏」を始めとする有力豪族たちが、実権を巡って争いを繰り広げた。藤原鎌足は、天智天皇の時代に中央官庁の政治・行政権を掌握し、天武天皇の時代に皇統が断絶したことを受け、自らの子女を天皇に擁立する「藤原四兄弟」のうちの一人として権力を実質的に握ることになった。
以上のように、奈良時代は文化、政治、社会の多くの変化があった時代である。これらの変化は、日本史後の時代に多大な影響を与えていることは言うまでもない。