【奈良時代】日本文化と宗教の一大変革期
奈良時代は、710年から784年まで、現在の奈良市にあった(当時の首都)大和京での政治、文化、宗教の発展期である。当時の日本は中国文化の影響下に置かれ、朝廷には唐からの留学生や僧侶が多数いた。この時代、日本は漢字文化を取り入れ、仏教が発展し、山陰山陽から中央集権国家へと形態を変えた。
奈良時代が始まった当時、朝廷は力強く、国内には多くの豪族や地方政権が存在し、支配が分散していた。そこで、天皇は政策の統一を図ることを望み、710年に首都を新たに設立することを決定した。奈良市にある平城京(ならのへいじょうきょう)は、中国都市計画の影響を受けたため、東西八坊、南北十二坊、皇居や大極殿が配置され、大きな発展を遂げる首都となった。
また、この時代、日本では仏教の発展も顕著であった。特に、天武天皇が仏教の保護を宣言したことが大きな契機となった。これにより、仏教美術や建築が盛んになり、法隆寺や東大寺など多くの仏教寺院が建立された。この時期の仏教文化は、唐から日本に伝来した法相宗や真言宗、天台宗、禅宗など多岐にわたり、多様な宗教文化が花開いていた。
しかしその一方で、この時代は豪族間の争いが激化し、朝廷内部にも複数の勢力が存在した。特に、桓武天皇(在位: 781年~806年)の時代には、攘夷論争、藤原氏と藤原北家の争いなどが発生し、内部の統一が乱されることとなる。また、この時代には律令制、官人制度、土地制度、貨幣制度など、多くの制度改革が行われ、政治的・社会的な基盤が確立されたとも言われている。
このように、奈良時代は、多くの文化・宗教的な交流があった時代として、今日の日本文化・宗教の基盤となる多様性と発展性を育んだ時代でもある。