【序論】
本論文では、東ローマ帝国の対外政策における宗教的要因の影響について考察する。東ローマ帝国は、キリスト教を国教として採用し、国内外で宗教的な指導者としての役割を担っていた。また、東ローマ帝国としては異教徒や異端派への弾圧など、宗教問題が国家政策の中心にあった。 東ローマ帝国は、自身がキリスト教の勢力として位置付け、周辺地域との政治的勢力争いを行っていた。この中で、宗教的な差異は争いの一因となっていた。例えば、ネストリウス派やモノファイシット派など、正教会とは異なる教義を持っていたグループとの対立は、政治的な対立をもたらすこともあった。 また、東ローマ帝国は、宗教を利用して自国の勢力拡大を目指すこともあった。ビザンティン帝国時代には、ロシアやブルガリアに向けてキリスト教の布教が行われた。これは、ビザンティン帝国が勢力を拡大し、親ビザンティン的な諸国を自国の同盟国とするための手段としても利用された。 本論文では、このような東ローマ帝国の対外政策において、宗教的な要因がどのような影響を与えたのかを、史料を基に考察することによって明らかにしていく。
【本論】
一つの重要な宗教的な要因は、キリスト教の改宗を通じた国家政策であった。東ローマ帝国は、キリスト教の普及によって自国の文化的・政治的影響力を強め、同時に周辺地域に対する影響力を拡大することを図っていた。例えば、キエフ公国の改宗は、東ローマ帝国の布教活動によってもたらされたものである。また、東ローマ帝国は、自国の正統性を主張するためにも、キリスト教を活用していた。 しかしながら、宗教的な要因が国家政策に与えた影響は必ずしも一様ではなかった。特に異端派や異教徒に対する扱いは、政治的・宗教的問題が入り混じり、対外的な困難をもたらすことがあった。例えば、ネストリウス派の有力者ネストリウスを逃がしたことが、中国との関係悪化に繋がった。また、ベルベル人との戦争においては、東ローマ帝国が異教徒を敵視して行った徹底的な弾圧が、敵対する部族の団結を生み出す結果となった。 さらに、宗教的要因の影響は、政策としての非常に微妙な要素としても認識されている。例えば、ビザンティン帝国の北方国境に住む民族は、ビザンティン帝国が導く正教会にはあまり興味を持っていないことが知られている。これは、ビザンティン帝国の政治的な思惑が宗教的な要因よりも優先された結果である。 以上、本論文では、東ローマ帝国における宗教的な要因の影響を様々な角度から考察していくことで、その重要性を明らかにしていく。
【結論】
本論文では、東ローマ帝国の対外政策における宗教的な要因が重要な役割を果たしていたことが明らかになった。東ローマ帝国がキリスト教を国教として採用していたことや、異教徒や異端派への弾圧、国内外での宗教的な指導者としての役割が存在したことが、国家政策における宗教問題の中心に位置づけられていたことを示している。このような状況の中、東ローマ帝国の対外政策は宗教的な要素を含み、周辺地域との政治的勢力争いにおいて宗教的な差異が一因となっていた。さらに、ビザンティン帝国がキリスト教の布教を行っていたことは、自国の勢力拡大を目指すことにもつながっていたことが指摘されている。これらの結果から、東ローマ帝国が宗教的な要因を含めた対外政策を展開する中で、宗教と政治が密接に関係していたことが明らかになった。