「自由意思とは何か?」
自由意思という概念は、多くの哲学者が取り組んだ問題の一つである。自由意思とは、自己決定する能力のことを指し、われわれが自由に選択を行うことができるという考え方である。では、自由意思とは本当に存在するのだろうか?それとも、われわれはある種の原因・結果の連鎖のなかで行動を決定するだけで、自由意思をもっているわけではないのだろうか?
一般的に、自由意思を否定する理論には「決定論」がある。決定論とは、あらゆる現象が原因と結果の法則に従って起こっていると考える立場である。つまり、じつはわれわれの行動はあらかじめ決まっており、自由意思を持った上で行動するわけではないのである。自由意思が存在しないため、われわれが行動することは、ある種の外部要因が作用した結果にすぎないのだとする考え方である。
しかし、未来の出来事を予見することはできないため、自由意思が存在しないとする決定論に疑問が持たれることもある。また、物理学の法則の中には、量子力学の不確定性原理により、原因・結果の法則に従わない現象が存在するとされている。これが、自由意思を否定する決定論に対して、自由意思が存在する可能性を提示する一つの理由である。
自由意思の存在を主張する立場には、自己決定論がある。自己決定論とは、自由意思を否定する決定論に対して、人間には自己決定する自由がある、という立場である。自己決定論では、人間の行動は社会的・文化的背景、心理的状態、現実的な環境といった要素に影響を受けることはあるものの、人は結局自分自身を決定することができ、自由意思を持っているとされる。
しかし、自己決定論も、やはり厳密に正しいとは言い切れない。われわれの行動が、環境や文化によって大きく左右されることは明らかであり、自己決定論ではそれらの要素を無視しているために、自由意思の本質を見失ってしまっている可能性がある。
自由意思という概念が扱う問題は、非常に複雑である。決定論と自己決定論の両方には、それぞれの立論の難点があるように思われ、完全に正しい立論は存在しないように感じられる。しかしながら、人間が未来を予知できないことや、幅広い象徴的な行動の自由が与えられていることなどが示唆するように、自由意思が存在する可能性も依然として残っているように感じられる。