タイトル:「19世紀後半のアフリカにおけるヨーロッパ諸国の植民地化―エチオピアの独立を例にして―」
19世紀後半、ヨーロッパ諸国はアフリカへの植民地化を推し進めた。当時、アフリカは複数の独立国家に分かれ、ヨーロッパ諸国はそれらの国々を支配下に置くために、侵略や植民地化を行っていた。この時代において、エチオピアはアフリカで唯一、ヨーロッパ諸国による支配を免れた国家として知られている。本稿では、19世紀後半にアフリカにおける植民地化が如何に進んだか、そしてエチオピアが独立を守り抜いた理由について述べる。
19世紀後半のアフリカにおける植民地化は、ヨーロッパ諸国による競争から起こった。当時、ヨーロッパを代表する国々であるイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、そしてベルギーは、アフリカに進出することを競い合っていた。イギリスは、インドやアジアにおける植民地化経験から、アフリカにおいては協調的な手段を重視した抑止策をとり、他の国々とは違うアプローチで植民地化を行った。これに対し、フランスは単一帝国を重視し、植民地政策に厳格な体制を持ち込んだ。その結果、フランスはアフリカにおける植民地支配の規模が最も大きかった。
しかし、これに対しエチオピアにおいては、ヨーロッパ諸国に対する独立と統一を唱えるムスリム指導者の存在があった。この指導者は、1880年代にはヨーロッパ諸国の進出を事前に警戒しており、軍備増強や社会改革を行い、国力の向上を図った。そして、1896年3月にイタリアとの戦争が勃発する。この戦争でエチオピア軍は、初めての欧州軍であるイタリア軍を撃破し、独立を守り抜いた。
エチオピアが独立を守り抜いた理由としては、国家の体制の強化と、軍備の増強が挙げられる。エチオピア国王は、国家への忠誠心を高めることを目的として、イベントや冠婚葬祭などで統一感を醸成するのに成功した。また、皇帝は各地に駐屯地を設置し、軍制と軍備の充実を図り、戦いに備えた。そして、戦争の際には、民間人を含む国民全員が戦闘に参加し、一体感を示したことが勝利に繋がった。
以上のように、19世紀後半のアフリカにおける植民地化には、ヨーロッパ諸国の競争やアフリカ国内の一体性不足が背景にあった。しかし、エチオピアはムスリム指導者の知恵と英知により、国家の統一を進め、軍備の充実を図ることにより独立を手にした。これは、アフリカにおける戦いの意義を表していると言える。