『こうもり』とハプスブルク神話の関連性 

 ハプスブルク神話とは19世紀初頭に成立したとされる、オーストリア人のアイデンティティの拠り所といえる考え方である。ハプスブルク家の国家が凋落の兆しを見せ始めた時期に、フランス革命の歴史的転換の影響を受けずに自己を保全していくための道具として生み出された。理念としての超民族主義、変格を好まずに何事にも中庸を求め秩序を維持しようとする享楽主義的人生観が特徴として挙げられる。
 ハプスブルク神話は当時のオペレッタにどのような影響を与えたのか。19世紀に上演された代表的なオペレッタ『こうもり』を社会的、政治的な面から考察し、ハプスブルク神話との関連性を見ていく。

 『こうもり』は、株の大暴落に伴いバブルが崩壊し、ハプスブルク帝国が傾いた時代の作品である。その内容は、現実を直視しない逃避型のウィーンの人々の心を映していると言われる。
 仮面舞踏会には様々な人物が登場するが、彼らが当時のハプスブルク家とそれを取り巻くヨーロッパ諸国との関係を暗に描写しているという解釈もある。まず、主人公の名前であるフォルケは鷹という意味であり、ハプスブルク家の紋章は鷲である。鷲だとあまりにも直球すぎるので控えめに鷹を用いたのかもしれない。次に、敵役の名前であるアイゼンシュタインの「アイゼン」は鉄を表し、プロイセンの鉄血宰相ビスマルクを示唆している。1866年6月オーストリアはプロイセンに宣戦布告され7週間で敗北している。また、アイゼンシュタインの妻ロザリンデはハンガリーの貴婦人として登場する。歴史が示す通りドイツに大敗を喫したオーストリアは1867年、ハンガリーと「オーストリア・ハンガリー二重帝国」を結成した。帝国維持の大切なパートナーとして、作品内でもハンガリーに主要なキャスティングを割り当てたのである。さらに、仮面舞踏会の舞台はロシア貴族オルロフスキーの別荘であった。当時オーストリアは、バルカン半島におけるロシアの影響力増大を恐れ、ロシアと交戦中であったオスマン帝国を支持したため、ロシアとの関係が悪化していた。その他、過去に関係のあったスペインやフランスなどのヨーロッパ諸国が脇役として登場する。関係の度合いによって、オペレッタ内の配役の重要性も変わってくるということだろう。
 オーストリアは、諸国の王族と婚姻関係を結ぶことで、過去に多くの領土を難なく手にしてきた。非常に狡猾で積極的な結婚政策は、知的で狡猾なコウモリの生態そのものである。そのコウモリも鉄血宰相ビスマルク率いるドイツ帝国との闘いに敗れてしまった。武力では太刀打ちできないドイツ帝国に対する憂さ晴らしが、この作品における復讐劇だったのだろう。

 『こうもり』は、ハプスブルク帝国崩壊の影響を少なからず受けている。黄金期、株の大暴落により帝国が崩壊の兆しを見せ始めた頃、国民はその不安を少しでも減らしたいと願っただろう。あるいは問題から完全に目をそむけてしまった人もいたかもしれない。今が楽しければそれでいいという刹那的な考え方は、この時期の作品に反映されている。白銀期、ハプスブルク帝国は完全に崩壊し、先行きが不透明な状況で国際間の緊張状態も続いた。作品の作り手が、当時の出来事や世論を反映させつつ自分たちの主張や思想を登場人物の言葉や行動、名前、音楽、ストーリー展開などに込めたからこそ当時の観客は熱狂したのだろう。

参考文献
クラウディオ・マグリス著 鈴木隆雄・村山雅人・藤井忠訳『オーストリアとハプスブルク神話』 書肆風の薔薇社 1990年

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