『古事記』や『日本書紀』に記載される、天照大神やスサノオの物語は神の物語である。これらの神話は「記紀神話」とも呼ばれ、当時の歴史として示されている。つまり、当時の日本では、神話が歴史として語られており、神々は日本の歴史の一コマとして認識されていたということである。現代では理解できない感覚であるが、一体どのような経緯で神話が歴史として広まっていったのだろうか。
まず、考えなければならないのは、特定の者が意図を持ってこの「神話」を創作したという事実である。この「神話」は古代人によって信仰され、村落共同体の中で伝承されていた純粋な神話とは全くその性質が異なる。誰がどのような意図を持って「神話」を生み出したのか。
日本古代の歴史書として知られる古事記と日本書紀は、共に天武天皇の詔勅により編纂されたものである。天武が則位する直前に起こった壬申の乱によって、当時の氏族社会は大きく二分された。混乱を経て則位した天武は、そういった時代の中で新たな律令国家の建設を決意したとされる。また、当時の大和政権は中国による冊封状態から抜け出した小帝国であるという主張を持っていた。中国に追いつかんと元号や国名を定め、中国に学びながらもオリジナルの律令を作り出した。このような国内外の歴史的背景をもって新しい権力が新しい国家の実現を目指す時、自らの存在、統治の必然性を示すことが必要となる。古事記と日本書紀は、天武王権による新しい国家作りの正当性を国内外に示すために作られた歴史であると考えられる。
天皇を主体とした歴史を国中に浸透させる上で障害となったのが、古代人が信じている地方に根付いている神であった。記紀神話は、この神々を利用して作られている。天皇家を日本の支配者であるとするとき、そこに至る話がすべて虚構では誰も信用しない。メインのストーリー軸を天皇の系譜にしぼりつつも、そういった神をあえて「神話」に組み込み、活躍させることによって文書自体の信用性を増すことに成功している。
当時、天皇が身近に存在する京都・近畿周辺以外では、天皇制への意識は薄く、それぞれがそれぞれの土地の神を信仰していた。天武天皇は、律令制という天皇家をトップとした国家体制を作る際に、新しい「神話」を創作することで、日本を歴史という観点から同じ価値観で覆いつくそうとしたのである。
参考文献
「神話で読みとく古代日本:古事記・日本書紀・風土記」 松本直樹
筑摩書房 2016/6/10