『注文の多い料理店』が示唆するもの

 『注文の多い料理店』は宮沢賢治の短編であり、関東大震災の翌年、1924年に自費出版同様に出版された。世界的には、イギリスとフランスが第一次世界大戦敗戦国であったドイツに過大な要求を突き付けて敗戦国民に苦しみを与えた時代である。宮沢賢治は混乱した社会情勢の中で、どのような意図をもって『注文の多い料理店』を書いたのだろうか。

 主な登場人物となる二人の若い紳士は、物語の序盤で「すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて」いると描写されている。その様子は歴戦の兵士というよりはむしろ、相当に胡散臭い。案の定、その後に続く二人の会話は下劣なものであり、大型獣も狩猟できそうな装備でありながら狙いは山鳥や野兎で、そのくせ口では鹿のどてっぱらだとか、タンタアーンとやれればなんでもかまわないなどといういかにも成り上がりといったような田舎臭く軽薄なありさまである。そんな彼らが料理店という都会的な場所で一生消えないトラウマを負うというのがこの作品のポイントとなる。表面的にストーリーを追うと、西洋かぶれの紳士を風刺した作品、ととらえることができる。しかし、紳士たちはブルジョアや貴族ではなく、たんなる西洋化かぶれの小物、第一次世界大戦による軍需景気で一山あてた成金にすぎなかったと考えられる。世の中の流行にうかれて舞い上がってしまうことはいつの時代にも誰にでもある。ましてや、紳士たちはまぬけな田舎者という印象が強く、それゆえにだまされて痛い目にあいそうになったという程度で、それが悪だとか、糾弾されるべきだと主張するのであれば、もっと別のストーリー展開を用意する必要があるだろう。
 一方で、宮沢賢治は二人を助けてはいるが、小物であるはずの二人の顔に一生の刻印を押している。そこには何か明確な意図を感じるが、一生の十字架を背負わされるには紳士たちはのんきすぎて彼らに対する明確な悪意は感じられない。それがこの作品を読み終わったときに感じる何とも言えない違和感の原因となっている。

 『注文の多い料理店』は、作者自身が物語の中で自分の主張や思想を全面に押し出すのではなく、問題を提起することによって読者に考えさせようとしている。物語を通じて何とも言えない居心地の悪さを与えることで、押し付けがましくならずに世界情勢への皮肉や批判的な心持ちを表現しているのである。

参考文献
『宮沢賢治「注文の多い料理店」論 : 面白さに注目した作品解釈』河内重雄
九州大学国語国文学会 語文研究 123巻 P15-28 2017/6

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