奈良時代における政治・文化・社会の変化についての研究

奈良時代における政治・文化・社会の変化についての研究

奈良時代は710年から794年までの長い期間にわたる日本の歴史上、最初の時代です。以後、日本は長い平安時代に入りますが、今回は奈良時代について、政治体制、文化・芸術、社会の変遷について解説します。

政治体制
当時の日本は大陸から伝わった諸制度を取り入れ、国家を整備していた時期でした。また、「律令国家」と称される一統的な中央集権型の国政が推し進められ、新たに京都が国都と定められ、そこに近侍する貴族社会が成立します。奈良時代中期以降には、大隅国の藤原氏や藤原北家、後に平氏之家の臣下が重要な官僚として登用されており、王朝に与える影響力は増大していきました。そして、平城京(現在の奈良市)で天皇や上級官僚が中心となり、日本の中央政治が行われていました。

文化・芸術
奈良時代には、朝廷が重要視していた文化が多く花開きました。中国から諸経文を始めとする書物の伝来があり、漢字を用いた日本語の文章も発展していきました。また、詩歌や歴史書、文学作品なども盛んに制作されました。そして、聖武天皇時代以降には、華麗な唐風美術や寺院建築が作り出され、日本独自の仏教美術が発展する契機を作りました。唐風美術の代表的なものに、薬師寺や法隆寺、東大寺などの寺院建築群や、金堂の鐘楼(しょうろう)や宝物殿などの建造物が挙げられます。また、多くの仏教彫刻や聖像も作られました。

社会
奈良時代は、前代未聞の文化・芸術の発展が行われた一方で、社会的な動乱があったとされています。大化の改新、藤原氏の勃興、平安京遷都など、社会の仕組みや体制が大きく変わっていったため、新興の豪族や皇族による権力闘争も起こったとされています。また、律令国家による支配が強化され、経済や土地制度も劇的に変化していった時代でした。その一例としては、官司の分与による楽田制度の確立が挙げられます。楽田制度とは、大陸諸国や中国にあった「美田(「楽な田」とも)を官司に分配して荘園(しょうえん)制を整備する制度」であり、日本においても、政府の荘園制度に発展していき、地方行政の拡充につながったと言われています。

結論
奈良時代には、強い中央政府による支配が行われており、新興の豪族や皇族による騒乱も繰り広げられた一方、政治・文化・芸術の発展が膨大な量で行われました。その後の日本史にも変革をもたらし、今日の日本社会の発展につながりました。

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