「デカルトの方法的懐疑主義について」

「デカルトの方法的懐疑主義について」

『方法序説』において、フランスの哲学者、ルネ・デカルトは、従来の哲学的思考に対して疑いを持ち、真実を探るために全てを否定する方法的懐疑主義を提唱した。本稿では、この方法的懐疑主義について考察し、その哲学的意義を探る。

まず、デカルトが何故方法的懐疑主義を提唱したのかを述べると、従来の哲学的思考に疑問を持ち、真実を探求するために必要だと考えたからである。彼は、「我思う、ゆえに我あり」という言葉で有名な認識論的自己存在の証明を行ったが、あくまでそれは全く新しい哲学的枠組みを構築するための出発点に過ぎなかった。デカルトは、既成の哲学思考はそれ自体が真実であるという信念に固執しており、真理を発見することよりも自分たちの信念を守ることを優先していると批判し、真理を発見するためには、全ての前提条件を疑い、再構築する必要があると主張した。

デカルトは、方法的懐疑主義の枠内で、自己存在の証明から出発し、次第に自己の存在を超えた、外界の存在や数学的真理、神の存在についても懐疑し、自分自身が必然的に存在すること以外は、何も認められないと主張した。彼は、「我思う、ゆえに我あり」という認識論的自己存在の証明を通じ、自分自身が知識の基盤であることを明確にした上で、それ以外の知識についても、真実であると証明されるまでは信じないという姿勢を示した。

そして、デカルトが方法的懐疑主義を提示した哲学的意義は何であるかという点について考察すると、それは「自己」が確固たる基盤となって哲学を展開する思考法が可能になったということだ。以前の哲学思考では、神や自然の法則、または人間社会の観念や倫理的原則などが前提条件として置かれていたが、これらの前提条件は必ずしも真実であるとは限らない。しかし、デカルトは方法的懐疑主義を通じ、真実というものを探究するための自己を基盤とする哲学を構築し、その後の近代哲学に大きな影響を与えた。

結論として、デカルトの方法的懐疑主義は、真実を探るために自己をそこに立て、それ以外に何も信じない姿勢を提示した。これにより、従来の哲学的思考に対する疑いを持ち、自己の存在を基盤とする哲学的思考法の可能性を提唱した。デカルトの思考法は後の近代哲学に大きな影響を与えたが、それゆえに、真理の発見を目的とした方法的懐疑主義がどの程度意味を持つか、また、その過程で自己や世界観がどのように揺らぎうつものであるかも問いかける必要がある。

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