『デカルトの「方法序説」における方法的懐疑と哲学的確信』

『デカルトの「方法序説」における方法的懐疑と哲学的確信』

デカルトは、哲学者として著名な人物であり、数多くの哲学的著作を遺しています。その中でも彼が最初に出版した著作『方法序説』は、彼の哲学体系の基本原理を提示し、新しい方法論を導入したことで有名です。本レポートでは、デカルトの方法論における懐疑的な疑問への解決策、つまり哲学的確信の形成について述べます。

序論

『方法序説』は、デカルトが哲学の基礎を求めて行った問い掛けを解決するために執筆されたものです。この著作では、彼は古代哲学と中世哲学に対して疑問を投げかけ、新しい哲学体系の構築を試みました。そしてその基盤となるものが、「方法的懐疑」という方法論です。本レポートでは、この方法的懐疑がどのように哲学的確信の形成を促進するのかを考察します。

本論

デカルトが提唱した方法的懐疑とは、すべての事柄について疑いを持つことです。彼によれば、人間は誤りを犯しやすく、それを繰り返し疑問に思い、真実にたどり着くことができないとする先人たちの誤りについても再評価が必要であると指摘しました。このため、デカルトは自分自身についても否定的態度をとることを決めました。彼は、何も信じることができないという「絶対的な疑問」に突き当たることを目指しました。

しかし、このように真理に対する懐疑があってこそ、真実を探求することができるとデカルトは考えます。懐疑を解決するためには、「クリアーでディスティンクトな(明確かつ区別的な)考え」を探して、それをもとに新しい哲学を構築すべきだというのです。つまり、彼は「クリアーでディスティンクトな考え」を積み上げることで、真理を探求し、哲学的確信を得ようと試みました。

そこでデカルトが提唱した方法は、自己循環証明法(circularity proof)です。この方法では、確信するものを自分自身で証明することにより、それに対する不確信を排除しようとするものです。具体的には、数学的公理に基づいて、幾何学的命題を導くことができると主張しています。この命題を実際に検証する場合、誤謬を避けるために、証明が「クリアーでディスティンクト」であるかチェックする必要があります。

このように、発見的方法主義に従い、知識を確実にするためには、確実なもののみを仮定して、その上で明確な規則に従った論証が展開されることが必要であるということです。ここで、クリアーでディスティンクトな考えとは、「自明な理性原理によってのみ立証可能な命題」という意味であることを再確認する必要があります。つまり、命題が真であることを自明に確信することができる場合、それが真であるとみなしてよいのです。

結論

『方法序説』において、デカルトは、人間が真実に近づくためには、常に疑問を持ち、クリアーでディスティンクトな考えを導き出すことが重要であると説きました。彼は、自己循環証明法によって、確実性のある知識を得ることができると主張しました。そして、その確実な知識を土台にして、新しい哲学を構築することを目指しました。

しかし、デカルトの方法論は、クリアーでディスティンクトな考えを、対象や環境という現実に沿って探求していくことを前提としています。しかし、実際には、人間は完全な無知状態でスタートするわけではなく、ある程度の先入観をもって現実を見ている場合があります。このような問題点を抱えるデカルトの方法論ですが、その貢献は大きく、現代の科学哲学に大きな影響を与えています。

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