タイトル:テセウスの船を用いて考える「同一性」
序論:
「同一性」とは、ある対象がそのままの状態であっても、時とともに変化していくものであるとする考え方である。例えば、人間の同一性においても、幼少期から成人期にかけて肉体的、精神的に変化していくことにより、同一人物であるとされる。しかし、これに対して「テセウスの船」という問題が提起されている。テセウスの船とは、いくつかの部品が取り替えられ続け、最終的には全く違うものになってしまっている船のことである。では、このテセウスの船は本当に同一の船なのだろうか。本論では、テセウスの船を用いて「同一性」について考えてみたい。
本論:
テセウスの船の具体例として、ある修理屋が船を持ち主から預かり、腐った船体の部品を順次取り替えることになったとしよう。最初に船底部分が取り替えられ、次に左舷の船首が、そして右舷の船尾が、という具合に順次取り替えられていく。最終的には、全ての部品が取り替えられた船が完成した。ここで問題となるのは、取り替えられた部品をどこまで同一の船と考えるかということである。
最初に取り替えられた船底部分は、まだ他の部品が全く取り替えられていない船に取り付けられているため、同じ船と考えることが容易である。しかし、次に船首が取り替えられ、その後船尾も取り替えられると、船体の大部分が新しい部品に置き換えられている状態になる。この場合、取り替えられた部品は全く違うものになってしまっているため、同一の船とは言い難い。
ここで、同一性に対する考え方が異なってくる。一部の人々は、どの部品が取り替えられても、それが元の船に取り付けられている限りは同じ船であると考える。つまり、船の「同一性」は構成要素ではなく、その形態、つまり船体そのものに依存しているという考えである。一方で、他の人々は、船を構成する部品が全て取り替えられた場合には、元の船とは別のものとして扱われるべきだと考える。船の「同一性」は、構成要素の同一性に依存しているという考え方である。
結論:
テセウスの船を用いると、同一性に対する異なる考え方が存在することがわかる。しかし、同一性という概念が恒久的なものであるわけではなく、時とともに変化していくものであるということは共通して認められる。つまり、テセウスの船に限らず、私たちが日常的に扱うあらゆるものに対しても、同一性は流動的であるということだ。そこで、私たちはどのように同一性を定義していくべきか、様々な考え方に対して慎重に検討し、自己の信念に基づいた判断をしていく必要がある。